こちかぜ文庫
中嶌みさと

日記光速の女神、参上!

「まったく……こんな朝早くに呼び出すなんて……人使いが荒いんだから」
 あか抜けた西洋人のような風貌のショートヘアの少女は、あくびをしながら隣の友人に不平を漏らした。
 時計の針は、まだ七時前である。
「人使いが荒いって……誰のせいだと思ってるのよ?! あなたのせいじゃない?」
 同じショートヘアながらも、彼女の髪は襟元近くで綺麗に切りそろえられ、いかにも優等生の雰囲気を醸し出しているが、こめかみには血管が浮き出ていた。
「……お二人とも、喧嘩するよりも手を動かして下さい」
 切りそろえられた前髪にポニーテールの犠牲者は、薔薇様と呼ばれる二人に対して不機嫌そうに声を上げた。
「すみません」
「申し訳ございません」
 情けない声で小さくなる二人は、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)こと水野蓉子と、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)こと佐藤聖。
「印刷し直すことを考えると、もうあまり時間がないんですから、ちゃっちゃと終わらせて下さい」
 怒りを押し殺すような、台詞の棒読みな口調は、新聞部の次期部長、築山三奈子。
 毎年この時期、山百合会は新入生に配る資料を作るのだが、今年はその編集と印刷を、人手不足や機械の故障もあり新聞部に依頼していた。
 文章自体は山百合会が作るというので、築山三奈子は軽い気持ちで引き受けた。
「おやすいご用ですよ。レイアウトと刷るだけなら大したことありませんし」

 印刷は無事終わり、帰宅したその夜に電話が鳴った。
 ピロロロロロロロ……
「はい、築山です」
「あ、三奈子さん? よかったぁ……夜遅くにごめんなさい。山百合会の水野蓉子です」
「ロ、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)? どうされたんですか?」
「ごめんなさい、こんな夜遅くに。実は印刷を頼んだパンフレットのことなんだけど………………」
 まさか、その原稿が間違っていて、新入生用全部を作り直すハメになるとは……。

「私は確か、“平成XX年度用”の封筒を三奈子さんに渡して、って言ったわよねぇ? 聖」
「えー? そりゃ、間違えたのは私だけどさサー。あんな汚い走り書きの数字、ぱっと見じゃ、間違えるって。」
 聖は、口をとがらせた。
「あんな汚い走り書きで悪うございましたわね。でも同じような封筒が並んでたら、普通注意して見ない?」
 少し自信があった自分の字を汚いと言われて、むっと来た蓉子は反撃する。
「その封筒が一番上にあったから、今年のが下にあったのに気がつかなかったんだってば。第一……」
「……お二人とも……いい加減にしてください。さもないと、今回の顛末を瓦版に載せますよ」
 …………
 一瞬の沈黙の後、二人は黙って作業を再開した。

 頭に角を生やした三奈子の前に、黙々と作業を続ける二人。
(だって! その時確かに三奈子ちゃんの頭に角のようなものが見えたんだってば! と後日聖は主張した。)
 しかし、そんな異様な沈黙に包まれた新聞部の部室に、妙な音が流れ始めた。

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

「……………………」
「……………………」
 蓉子と聖はお互いに顔を見合わせるが、三奈子は“何も聞こえません!”といわんばかりに相変わらず怖い顔で黙々と作業を続けるので、何も言い出すことができない。

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

 どうやらそれは幻聴ではないことは確かで、隣の部屋から聞こえてくる。
 妙なかけ声と機械音のようだ。

「……ね、ねぇ……三奈子さん。何か変な音が聞こえない?」
 辛抱たまらず、蓉子がおそるおそる三奈子に話しかけた。

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

 その間も音は、規則正しく続いている。
「隣………運動部だったっけ? トレーニングか何か?」
「いいえ。隣は写真部です、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)」
 顔も上げずに作業を続ける三奈子。
 面白そうなネタならどんなことをしてでも喰らいつく、その彼女が顔も上げないということは、「変な音」が日常茶飯事であることを物語っていた。

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

 相変わらず隣からは、妙なかけ声と機械音が規則的に聞こえてくる。
「ベンチプレスでトレーニングでもしてるの?」
 上級生の問いかけに、三奈子はゲラを差し出した。
「トレーニングには違いないんでしょうけどね。それよりも白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、早くチェックを済ませてください。さもないと、間に合いませんよ」
「そ、そうね。この後、印刷があるのだから」
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)こと水野蓉子は、三奈子に言われる前に作業を再開していた。
「へいへい」
 しぶしぶと再び赤ペンを走らせ始める、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)こと佐藤聖。

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

「で? 何のトレーニングをしているの? 写真部は」
 しかし、妙な音は気になる。聖は、ペンを動かしながらも三奈子に話しかけた。
「早撮りのトレーニングだそうです。みさとさまの」
「ハエ取りのトレーニング?」
「は・や・ど・り、です!」
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)わざとですか? と呆れ顔の三奈子に、“ハエ取り”のトレーニングってどんなトレーニングよ、と蓉子も露骨に嫌な顔をする。
 が、当人は間違えをよほど気に入ったらしく、箸で飛んでいるハエをつまむ訓練じゃない? と声を立てて笑った。
「みさとって……あの、中嶌みさとさんのこと?」
「ええ、そうです」

 ふんっ!
 カシャッ!
 ふんっ!
 カシャッ!

 音が聞こえる方に目をやりながら聖は言った。
「ああ、江利子と同じクラスの。三年菊組って、江利子といい、克美ちゃんといい、変わり者が多いよねぇ」
「江利子も克美さんもみさとさんも、あなたにだけは言われたくないでしょうねぇ……」
 友人のツッコミに、全くだ!と楽しそうに同意する聖。
「で? 早撮りのトレーニングって……素早くカメラで写す訓練ってこと?」
「ええ。なんか、福沢諭吉が鍛錬のために毎日真剣を千回以上振っていたことに倣っているそうで……毎朝やってるそうですよ。」
「福沢諭吉と来たか……」
「ええ、なんでも写真部の部室には諭吉の肖像画があるとかないとか……」
 見目麗しきリリアンの部室に、諭吉の肖像画っていうのはどうよ?
という聖のツッコミに、あら、諭吉は女子教育にも力をいれたそうだから、むしろぴったりなんじゃないかしら、と応える蓉子。
「毎日の鍛錬の賜物ってわけね、光速の女神(ライトスピード・ゴッデス)の異名は。伊達じゃないってことね」
 蓉子が反応したのは、諭吉よりも鍛錬という単語の方のようだ。妙に感心して頷いている。
「ところで、光速の女神(ライトスピード・ゴッデス)って?」
 あれ? ご存じないんですか? と三奈子が答えた。
「カメラを取り出し、構え、シャッターを切るまでの動作があまりに速いことから来たあだ名だそうですよ」
 確かに、彼女が捉えた決定的瞬間は数知れず、去年の写真部の展示会は行列ができるほどであった。
「なーるほどねー……あれ? 音が聞こえなくなった。トレーニング、終わったのかな?」
 聖がそう言い終わるか終わらないかの瞬間に、新聞部の扉が開いた。
「聖さん、蓉子さん。速いのは撮影の時だけじゃないわよ」
 中嶌みさとが立っていた。1枚の紙をひらひらさせながら。
 そこには、聖が大あくびを、さらにはその隣で手のひらで口を押さえるように小さなあくびをする蓉子の姿があった。
 今朝の、それもつい30分ほど前の写真だ。
「三奈子さん、今回の顛末を瓦版に載せるときにどうぞ」
「いつも感謝します! 光速の女神(ライトスピード・ゴッデス)」
「……いつも?」
「……いつも?」
 目を輝かせる三奈子に、山百合会の二人のツッコミが重なった。

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